おじさんと三輪車

新しい朝が来た。希望の朝だ。喜びに胸を開け。大空仰げ。

今も小学生が夏休みに近所の公園に集合させられて、やけにテンションの高いおじさんの声に合わせながら体操をする文化はあるのだろうか。あるのであれば、小学生がこの令和の時代において唯一ラジオを使用する機会なのだと思うが、コロナ禍の今は、「密」になるから、という理由で、リモートになっているのだろうか?

体操が終わった後に押してもらえるスタンプが楽しみだった純粋無垢な少年に戻りたい。

少年に戻りたいと言えば、昨年娘と行った東京おもちゃショーで、少年の心を忘れない大人たちと多く出会った。特に印象に残っているのが、三輪車の試乗体験で出会ったおじさんだ。三輪車の試乗をすると体験が終わった後に、三輪車の前に装着できるキャラクター人形がもらえるというもので、業者としては、子どもに三輪車に乗らせ、無料でキャラクターを配ってあわよくば、三輪車本体を購入させようという魂胆なのだろう。さて、そのおじさんは、ゴール付近で山積みになっているそのキャラクター人形の山に近付いてさらっと一つ持ち去ろうとし、スタッフに見つかって窘められていた。「これは体験した方に配っているものです!」スタッフが強い口調でおじさんに伝えると、おじさんは、「ちっ!なんだよっ、この野郎…」と捨て台詞を吐いて、立ち去るかと思いきや、小学生ですら並んでいない列の最後尾にブツブツ文句を言いながらも素直に並んだ。

想定外のおじさんの行動に私を含め、その場にいた大人たちは、少しざわっとした。

私はどうしてもそのおじさんが三輪車の試乗体験をしているところを見たくて、娘の体験が終わった後に、「楽しかったねー!カッコ良かったよ!もう一回やりたいね!!」と娘をおだてて、半ば無理やり、もう一度列の最後尾に並ばせ、おじさんの順番を待った。

三輪車に乗るおじさんの姿は、それはもうこの世のものとは思えなかった。言わずもがな、三輪車は、子どもが乗ることを前提に作られている。ペダルを漕ごうするおじさんの長い足は、膝がカクンとなり、ペダルから足が離れてしまう。それでも挫けず、おじさんは、再びペダルに足を乗せて前に進もうとする…ZARD「負けないで」をBGMとして流したい気分だ。ドン引きしているスタッフから景品を受け取って、去っていくおじさんの姿を見ながら、大人でも楽しめる東京おもちゃショーの魅力を身をもって体感した。私自身もとても癖になる「ショー」だった。 多少、その景品と違いはあるが、おじさんが大事そうに持ち帰った景品を見つけたので今日はそれを紹介しようと思う。是非大人の皆さんにもお試しいただきたい。

髭とダンディズム

今日の東京の気温は36°を超えるらしい。この中、マスクをして仕事しなければならないと思うとげんなりする…一日中、自宅の布団から半径1メートル以内の安全な場所でAmazonプライムビデオを観ながら、駄菓子屋に売っているプラスティックで円形でオレンジの蓋のケースに入っているスルメイカを食べていたい。そんな正直な気持ちとは裏腹に、就業後にランニングをしながら自宅に帰るなんて、血迷ったことをする日もある。理由は…クソ面白くもないのだが、健康のためだ。ただ、甲斐性はないので、気を紛らすため、その間ずっと音楽を聴きながら走っている。

Official髭男dismをよく聴いている。ちなみに、私は髭もはえていないし、ダンディズムの欠片もない。このブログでもペンネームを使っている。Official髭男dismとは全く真逆の人間だ。言ってみるなら、「非公式すね毛すら薄い乙女ティックおじさん」だろうか。

そんなことを考えながらニヤニヤ走っているのである意味本当の変態だ。加えて、一昨日は帰宅後に強い頭痛に襲われた。熱中症だ。健康のために走っているのに本末転倒である。

熱中症になりながらも思い出したのが、あれは、昨年の冬だったか、多摩川の河川敷で開かれた小さな規模のマラソン大会に出場した時に見掛けたセーラー服を着て大会に参加していたおじさんだ。決して人を笑わせようとしていた訳でもなく、かと言ってもちろん罰ゲームとかで恥ずかしそうという訳でも全くなく、そして走るのが速い訳でもなく、敢えて言えば「愚直」という言葉が似合うだろうか、真っ直ぐ黙々とに走っていた。

そのマラソン大会のコースは、周回コースで、何度もそのおじさんとすれ違った。はじめのうちは、偏見の眼差しを向けてすれ違っていたが、徐々にその距離は縮み、最終的にはゴールの前に追い抜かれてしまった。

彼と呼ぶことが相応しいかわからないので、ここでは敬意を込めて彼女と呼ぶことにするが、彼女から学ぶことは多かった。人目を気にせず自らをさらけ出す潔さ、そして、目が座っていてゴールだけを目指す真っ直ぐさ…なんて、自分が小さい人間なのか…。もしかしたら、自分が今もなお、走っているのは、健康のためなんかではなく、あのおじさんのためというかあのおじさんへの憧れから、なのかもしれない。

THE BLUE HEARTSの「青空」という曲にこんな歌詞がある。 「生まれた所や皮膚や目の色でいったいこの僕のなにがわかるというのだろう」 今回のエピソードとは全く関係ないが、紹介をしておく。

今年の多摩川の河川敷で行われたマラソン大会は、中止されていた。来年の冬の大会もおそらく中止だろう。次にあの大会が開かれることがあったら、勇気を振り絞っておじさんに話し掛けたい。「僕、走っています」…と。

自分の書いた文章で人を感動させたい!という一心で今回のブログを書いた。「ランニング」「マイノリティ」「歌詞の引用」「ブルーハーツ」「再会」「倒置法」など感動のエッセンスになりそうなワードや技法を文章の中に散りばめてみた。この文章で涙を流した人のために、最後に黄色いハンカチを紹介しておく。もちろん、この話は全て実話である。熱中症の後遺症は脳に多大な影響を与えるようだ。皆さん、水分補給はこまめにして暑い夏を乗りきりましょう。

スランプとランプの魔人

ブログが書けない。ブログ再開当初は、毎日更新すると息巻いていたが、結局連続更新記録は「3」で止まってしまった。いわゆる「3日坊主」というやつだ。

今、もしも街中でランプを拾って、そのランプから妖精でも、魔人でもなんでもいいが、そのランプに住んでいてランプを擦ると現れて「あなたの願いを3つ叶えましょう」という、擦るという作業に全く見合わないビッグなプレゼントをくれる変わり者と出会える展開になったとしたら、迷わず「面白いブログを書かせてくれ!」と食い気味にお願いするだろう。

ランプの魔人の話といえば、良く話題になるのが、「叶えてもらう願いを増やす」ということが可能かという議論だ。例えば3つ目の願いの時に、「では、3つ目の願いでは、叶える願いをさらに3つ、増やしてください」というものである。これによって叶える願いは、失敗しない限り、半永久的に増え続けることとなる。小学生の頃にこの方法をこっそり友人が教えてくれた時には、目から鱗が出た(実際は出ていない)。そして、少年は、ランプの魔人に出会えた時はこの方法を使うことを決意した。

ただ、大人になった今ではそんなペテン師のような裏技を使いたくないし、願いを増やし続けることで、願いを叶えるだけしか能が無い、胸毛ボーボーのランプの魔人にずっと付き纏われることもおそらく苦痛になってくるだろう。

そこで、もし、ランプの魔人が現れて、面白いブログを書かせてもらう願いを叶えさせてもらうことのほかには、小学生の時に考えていた「ひゃくおくまんえん貰う」という願いを叶えて貰おうと思う。世の中、金である。

ちなみに、このブログがつまらないというクレーム等は受け付けしかねる。なぜならランプの魔人が現れなかったからである。つまり、このブログがつまらない場合は、私のせいではなく、「ランプの魔人のせい」ということになる。 そして、今日はランプでも紹介しておこうと思う。とてもかわいらしいランプで、おおよそ、魔人が出てくるようなタイプのいかにもなランプではないので、魔人は出てこないと思う。万が一出てきた場合は、1つ目の願いで、このブログが面白くなるよう願っていただきたい。

ペンネームの決定過程におけるスシタロウの果たす役割について

ブログを再開するにあたって、一番悩んだのが「ペンネーム」だ。センスのあるペンネームでないと、誰にも読んでもらえない。総閲覧数が「3」だった前回の反省を踏まえなければならない。  自分のセンスをフル回転をさせ、仕事そっちのけで、思いついたペンネームがこの「緑田るっこら」である。  私は世界一お洒落な食べ物は「ルッコラ」だと思っている。イタリア料理によく使われるルッコラとの私の最初の出会いは、大学3年生の春である。正確にいうと、それ以前にもルッコラとは何度か出会っているのだと思うのだが、それを「ルッコラ」と認識はしていなかった。東京に暮らし始めて、新たなアルバイト先を見つける時に、働きたくないという気持ちと収入を得なければならないという狭間に立たされて、どうせ働かなければならないのであれば、「モテるバイト」をしようと、カフェに絞ってアルバイト探しをした。  一軒目に面接に行ったカフェは一人暮らしをしていたアパートから程近いお店である。結果不採用であったが、敗因はハッキリしている。よくありがちなアルバイト面接の質問として「今までアルバイト経験はありますか」というものがある。  私はこのアルバイトを受ける前まで、「スシロー」という東証一部上場の大手回転寿司チェーンでアルバイトをしていた。今でこそ「スシロー」は誰もがよく知られている企業であるが、当時はそれ程の知名度ではなかったのかも知れない。「あなたは「スシタロウ」でどのような業務をしていましたか?また、「スシタロウ」での経験をどのように活かすことができますか?」面接官のその言葉に、私は少し困惑しながら、少し食い気味に「あ、スシローです!!」と訂正を入れてしまった。今考えると一切本質的でない部分で、噛み付いてしまい、面接官のプライドを傷つけてしまったことを反省している。あの面接官のイラッとした顔は未だに憶えている。  ただ、その時私はまだ若く、「ん、スシタロウ?なんだそれ?俺、履歴書にスシタロウなんて書いたかな?もしかしたら「スシロー」と間違えているのか!しかもこの人「スシタロウ」って連呼しているぞ!?一刻も早く訂正しなければ!」との思いから、必死で訂正をした。今であれば、「はいっ!私は「スシタロウ」で、一生懸命働いていました!!」などと架空の面接官の頭の中にしかない回転寿司店で働いていた好青年を演じ、面接官を満足させることができたであろう。迎合することは生きていく上で最も重要な術である。

前置きが長くなってしまったが、生意気な大学生だと思われてしまった私が不採用に落胆しつつ、次に面接を受けたお店がルッコラを取り扱うカフェである。そこでは「スシタロウの悲劇」を繰り返すことなく、無事に面接に合格を果たすことができた。「スシタロウ」は神様が与えてくださった私とルッコラの出会いの伏線だったのかもしれない。そのカフェには、パストラミビーフルッコラを挟んだサンドウィッチのメニューがあった。

 ルッコラ自体には特徴がなく、見た目もその辺りに生えている雑草と大差はない。加えて、味もそこまで美味という訳ではない。ポイントは、海外、とりわけイタリアで重宝されているであろうという点である。日本という島国育ちで、その中でも田舎の出身の私にとって、海外は特に憧れの象徴であった。欧米列強の精神は今もなお、日本人の田舎者の心には、強くコンプレックスとして刻み込まれているのだ。 加えて、ルッコラの仕込みは他の素材の仕込みに比べてとても簡単だった。不器用なくせに、モテるためにアルバイトを選んだ私にとって面倒な仕込みの業務は非常に苦痛だった。加えて、想像に反してモテることもなかった、あのバイト先で、仕込みも簡単でお洒落なルッコラに私は首ったけだったのだ。 そんなアルバイト時代の思い出がふと蘇り、好きなカラーの緑にルッコラを絡めて、かわいいアピールのため、「ルッコラ」を「るっこら」とした。緑とるっこらの間にある「田」にはなんの意味もない。 このペンネームが功を奏したのかは定かではないが、当ブログの閲覧数は、本日17時現在で「35」を数えていることもやはり、「ルッコラ」に対する日本人の憧れを感じざるを得ない。さて、本日は、その「ルッコラ」を紹介したいと思う。

のど飴と、くじ引きと、私

大手コンビニの700円以上購入するとくじが引けますというキャンペーンが嫌いだ。

先日、コンビニを訪れて買い物をして、会計に並んでいた時にこのキャンペーンをやっているという張り紙に気がつき、慌ててレジ横にある全く要らない「のど飴」で調整をし、700円以上のミッションをクリアした。ちなみに、私はコンビニで700円以上利用する人間は浪費家であると思っている。700円以上購入するお客を増やす事を目的にくじ引きキャンペーンを実施していることも百も承知である。

だがそれにも増して、私はくじ引きが好きだ。くじ引きのために生きて来たといっても過言ではない、荒くれギャンブラーなのである。

その日もワクワクしながら自分の会計の番を待っていた。「次の方、どうぞー」…この時点で少し違和感は憶えていた。

会計が終わった。

レシートが渡されて、「次の方、どうぞー」とアンドロイドのように無機質でやる気のない発声をする店員さんの前で私はレシートを握りしめながら、絶望した。会計の前に感じた違和感…

何を隠そう、この店員さんの新人感とやる気のなさだった。この店員さんは、事もあろうかコンビニ店員として一番大切な仕事である「くじ引きを引かせること」を忘れてしまっているのだ。

「く、くじを引いてもいいですか…ぐふふふ…」そんな言葉が喉から出掛かったが、なんとか飲み込むことができた。スマートな社会人の私が発してはならない言葉だからだ。この場合は、もうアンドロイド店員が「次の方」を呼んでしまっているので、「なんだ、このおっさん、くじ引きくらいでガタガタいってるんじゃねーよ」と店員さんと「次の方」の2人に思われてしまうのである。正しいことを発言できない、主張することのできない悲哀。私は忖度したのだ。

普段、私は店員さんに対して、無類のくじ好きであることはひた隠しにしている。「今、キャンペーンをやっていまして、こちらのくじを引いてください」などと言われると、早る気持ちと、勢い良くくじ引き箱に突っ込みそうな左手(私は左利き)を抑えて、「ああ…そうなんですか…知らなかったなぁ」のようなテンションで面倒くさそうに演じながらくじを引くのだ。スマートな社会人の私がくじ引きが好きな人間などと店員さんに悟られてしまうのは避けなければならないのだ。 今回のケースについては、本当は「お前、ふざけんなよ!くじ引き、引かせろよこの野郎!!」と胸ぐらを掴んで、喚き叫びたいのが本音なのだが、スマートな社会人はそんなことをしてはならない。嫌な世の中である。くじ引きなんてこの世からなくなればいいのに… 購入したのど飴が喉に染みた。のど飴ってこんなにノスタルジーを感じるものだったっけ。ということで本日はのど飴を紹介します。

女子高生とダンロップ

 ブログを始めようと思う。というか、再開しようと思う。今年のはじめに、blogで商品を紹介すると、副収入が入ってくるアフィリエイトを紹介していたネット記事を見つけて、「あ、これ、俺、億万長者になれる…でも、あんまり副収入が増えてしまうとマズいな…うちの職場副業禁止なんだよな…」などとまんまと誇大広告に乗っかり、かつ、収入が入ってしまった時の皮算用までしてしまうまでに脳が溶けてしまった上で、世間様にとって全くお呼びじゃない「ずんぐりむっくりの33歳(当時32歳)一般中年男性の好きなお菓子を紹介する」記事を書いてブログを開始するという愚行を晒してしまった。 結果はこちらで報告するまでもないが、お金が欲しいという人間の本能と欲望が生み出した悲しき黒歴史である。よく考えたら、私はカリスマ美容師でも人気YOUTUBERでもなんでもなく、出身の田舎においてもクラスの人気者にすらなれず、このコロナ禍の中でも電車通勤を強いられている東京砂漠在住のしがないずんぐりむっくり社会人なのである。 そんなやつの紹介するお菓子なんて、誰が食べたいのか…希望があれば次の記事で紹介するので、是非食べてみて欲しい。歴史は繰り返すのである。

さて、ひょんな事から、その事実を思い出し、当時の自分をひとしきり軽蔑した後、黒歴史を一掃(削除)し、本日、新たなスタートを切ることになった。いわゆる門出である。そこでタイトルに戻る。女子高生とダンロップ

今朝、電車の中で、ダンロップのスニーカーを履いていた女子高生を見かけた。今時の女子高生で、自分が高校の時に、同級生にいたら毎日が楽しくなりそうな女子高生である(仲良くなれるかは別として)そのイマドキ女子高生がダンロップのスニーカーを履いているという摩訶不思議な光景がその車両にあったのだ。(ちなみに私はダンロップが大好きだ。そこは誤解のないように) まぁ、朝、とても急いでいて、朝食もままならず、食パンをくわえながら、間違えて父親のスニーカーを玄関で履いてしまい、駅までダッシュしながら食パンを胃袋に入れた直後に電車に乗ったあわてん坊さんなのかもしれない。そして、今もまだなお、自分が父親のスニーカーを履いている事に気付いていない可能性もある。その場合は、「靴、ダンロップですよ」などと声をかけた方が親切なのか…。 または、校則でダンロップのスニーカーを履くことが定められている高校に通学する学生なのかもしれない。ダンロップ社と高校の契約が生んだハプニングなのか。ただ、いかにも校則などを守ることのなさそうな学生である…ということは…もしかしたら巷の女子高生の間ではダンロップのスニーカーが流行っているのかもしれない。 そういえば、「これ、おじいちゃんのジャケットなんだー。」といってお洒落アピールをしている女子に出くわしたこともある。一周回ってお洒落。プロデューサー巻きも然りである。「ダンロップ女子」。これは「ビジネスチャンス」だ。 まだ、流行の初期段階といえる「ダンロップのスニーカーを履いている女子」の存在を世の中に知らせ、ブログでダンロップのスニーカーを紹介すれば、一攫千金…うん。 お母さんお父さん、念願のマイホームが近いうちに手に入りそうです。そして、全国の女子高生の皆さん、これが今、ナウでヤングな若者の中で話題沸騰のダンロップのスニーカーです。是非以下よりお買い求めください。

今後も世の中の流行や、私の妄想など、非常に重要な事を不定期ではありますが、当ブログで発信していく予定でおります。少しでも興味のある方は、是非ご覧いただければ、幸いです。 緑田るっこら ※ちなみに、この「緑田るっこら」というのは、ペンネームです。意味は特にありませんが、今日仕事中に仕事そっちのけで必死で考えた名前です。よろしくお願いします。